タイル(グリーン)

血統コラム番外編

メジロアルダン追悼コラム その1(6/29)

おけらの師匠でもあるメジロアルダン先生が、先週繋養先の中国で亡くなったというニュースを耳にした。おけらに競馬を教えてくれたアルダン先生の追悼の意味をこめて、当時書き綴ったコラムを掲載する。 あの頃は熱かったなあ。。。

第102回天皇賞

第102回天皇賞(秋) 回顧(1990)
今回の天皇賞は、私にとって絶対に譲れないものがあった。それはオグリキャップでもなくメジロアルダンそれ自身でもないことだ。絶対に負けたくない奴がいた。メジロアルダンに乗るはずだった岡部である。
岡部は今回ヤエノムテキに乗ることになっている。なめくさってくれたものだ。奥平もかなりきていたようで、典(横山)は、あいつだけには絶対負けるなと言われていたらしい。 私もそれしか頭に無かった。
幸か不幸かこの2人(2頭)は同枠(4枠)に入ることになった。因縁の対決の予感がした。 一般大衆はオグリ一色だったが、パドックで私の見ているのは青い帽子の2頭だけだと言ってもいい。
騎乗命令がかかる。かける言葉はこれしかない。

「横山!岡部にだけは絶対負けるんじゃねえぞ!この野郎!」
カーツとアドレナリンが全身に回り、頭から空に向かって吹き出した。これに応えるかのように横山の乗ったアルダンはたてがみを逆立て、ものすごい気合で手綱を引いて首を左右に振った。少なくとも私にはそう見えた。

レースはすでに最終コーナーを回っていた。あと400だ。しかし私はただ唖然としていた。アルダンは前が壁になって追えない状態だった。岡部のヤエノが一番内からサッとロングニュートリノをかわして先頭に立っていた。オグリはすでに終わっていた。
時間はどんどん過ぎていく。もう駄目か? いくら広い東京でも一流の騎手と馬がそろうと、そうばらけるものではない。とてもヤエノを捕らえられる状況ではない。
「やられた・・・」
そう思った。

もうあと200のハロン棒にさしかかった時だった。ついに前が開いた。「来る!」というより「来てくれ!」そう祈った。 そしてその瞬間、私は、生涯最も怖いアルダンを見る事になった。たて髪を逆立てた500キロを超える黒い弾丸があっという間に馬群を割った。背筋に秒速100mのブリザードが突き抜ける。
「来た!」
そして次の瞬間ブリザードはすべてアドレナリンに変わっていた。あらんばかりの声が出た。まだ150mある。横山の鞭が唸る。 重戦車が一気にヤエノを捕まえにかかる。10m、1馬身、半馬身、そして馬体が合った。ゴール版を2頭が駆け抜けたその時、私の目はまるで写真判定の写真のように止まって見えた。
「アタマ負けだ・・・」
アタマ届かなかった。目をつむってもゴールの瞬間が焼きついていた。
ああ!」
一気に体中の力が抜けた。私はホームランを打たれた星飛雄馬のようにその場にひざまずいていた。絶対負けたくない野郎に負けてしまった。
くそったれ!岡部の野郎!」

こんなに悔しい思いをしたのは覚えが無い。 しかし涙は出なかった。それはたぶん岡部に最高に乗られてしまったということを直感的に感じていたのだろう。勝てる馬を見極め、それに乗って見事に勝ってみせるというプロの意地とテクニックに脱帽したのだろう。
多分、彼がヤエノに乗ると決めた時は、私が岡部にだけは負けたくないと考えていたのとは比較にならないほど、誰よりもアルダンにだけは負けたくなかったはずなのだから・・・

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